私のラジオ遍歴 (4)

前回はナショナルのクーガー2200を入手してますます BCL にのめり込んだお話でした。で、そこからどうなったか…

中波で遠距離海外局を追いかけ始める

日本 BCL 連盟という団体が1976年に創刊した月刊『短波』は当時のマニアにとっては待望の雑誌でした。当然私も飛び付いて毎号隅から隅まで読み漁るようになります。先日の実家の片付けで長らく行方不明だった同誌が発見されたのは想定外の嬉しい出来事でした (現物はまだ東京に送っていないので中身の確認はお預けですが)。

これを読み漁りながらいろいろなな放送局を追いかけていたわけですが、やがて新たな興味の対象を見つけてしまいます。写真の左寄り、1979年9月号の特集「MW 受信局総リスト」がそれ。MW というのは medium wave、つまりは中波のことです。中波と言うと国内局や近隣諸国の放送の印象が強いですが、実は条件さえ揃えば東南アジアやオセアニア、北中米の局を聞くこともできたのです。

かくして、短波を追いかけることを止めた訳ではないものの、より難しそうな中波での遠距離海外局受信という方向を追いかけ始めます。クーガー2200のジャイロアンテナだけでは受信感度は不十分なので、ループアンテナを自作したりもしました。父が水道配管の会社をやっていたので、余り物の塩ビパイプをもらってきて十文字に組み合わせ、ケーブルを張って同調用のバリコンを取り付けたものです。こんな感じ。

高さ1m位はあります。クーガー側のアンテナ端子は中波には対応していなかった (か、対応していたけどイマイチだった) ので、ジャイロアンケートにエナメル線を巻き付けてそれをループアンテナに接続していました。

これでいろいろ聞きました。北中米の局もひとつ、ふたつ位は聞こえたと記憶しています。受信報告は出さなかったようでベリカードはもらっていないのが今思えば残念ですが…。

高1中2

そのうち、中波 DX (遠距離局を聞くこと) を目指す上でのラジオの性能の限界を感じ始めます。『短波』の記事によれば中波 DX には実は真空管の受信機が良いとのこと。中波帯では片や地元のとても強力な電波が存在する中、短波よりも悪い条件で届く非常に微弱な電波を聞かなければなりません。その信号レベルの落差が当時のトランジスタには扱いが難しく、微弱な信号に合わせて感度を上げようとすると近隣局の信号が飽和して本来の周波数以外のところにでもあちこち聞こえるようになってしまい、聞きたい局の邪魔をする、というような現象が起きてしまうのです (混変調という現象です)。真空管はそういう現象が起きにくいので、当時既に製造中止になっていたトリオ (今のケンウッド) の 9R-59D という真空管式の受信機が中波 DX のマニアでは使われていたりしました。

で、昔から愛読していた『初歩のラジオ』の巻末に広告を出していた科学教材社という会社の組み立てキットのことが俄然気になり出します。元々自作志向のワタクシ、これは一丁作るか!と大枚はたいて高1中2式受信機 JA-9 を購入。多分1979年か80年、それこそ高1か高2の頃だったと思います。もちろん方式名は学年とは何の関係もなくて、高周波増幅1段、中間周波増幅2段を意味します。こんな感じのやつでした。

こちらのサイトには当時の広告が掲載されています。懐かしい!

それまで自作で扱い慣れていたアルミシャーシではなく鉄製シャーシだったので、機械的な面で結構苦労しました。特に中間周波トランスをメカニカルフィルターで置き換えるというようなことをしたため、穴を空けたりヤスリがけをしたりするのがえらくきつかったことを覚えています。配線自体は何とか無事終えて、ちゃんと動作しました。

ただ、思ったほど中波 DX に威力を発揮できなかったんですよね。確かに上で述べた混変調の特性は良さそうだったものの、感度が思ったほど高くなくて、クーガーで聞こえてる局が聞こえなかったり。結局思ったほどの成果は得られませんでした。

手元に残っている唯一の中波 DX の成果はこちら、ラジオ・バングラデシュのベリレターです。693kHz なので紛れもない中波。受信日は1980年5月13日です。ただしこれ、クーガー2200で聞いたのか高1中2で聞いたのかは定かではありません。

そのうちだんだん BCL への情熱自体が薄れ始めます。バンドでギターを弾くようになり、そっちの練習に時間を取られたり、自作もギターのエフェクターという新たな興味対象を見つけてしまったり。そして受験の学年へと突入。一浪を経て1983年には大学に合格して上京しますが、何を思ったか体育会系の卓球部に入部してしまい、ラジオを聞くなどという時間は全く取れなくなります。たまに思い立って東京に持ってきたクーガー2200の電源を入れてみても、東京のノイズ事情は札幌とは比べ物にならないほど悪く、アパート住まいではアンテナを立てることもできず…

という訳で、私の BCL 歴はここで完全に途絶えてしまったのでした。

終わりに

以上、私のラジオ遍歴はこれでおしまいです。自分で書いてみていろいろ思い出すこともたくさんあり、また Facebook や Twitter で思いがけない方から反応を頂いたりして、楽しく書くことができました。ここまでお付き合いありがとうございました。ベリカードの発掘はこれから本格化していきますので引き続きよろしくお願いします。

私のラジオ遍歴 (4)” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です