故人を悼むこと

昨日のブログで下記のように書きました。

人の死は等しく悲しいものです。憶測に基づく非難や攻撃は控えて、静かに真相の究明を待ちつつ故人の冥福を祈りたいと思います。そして、事件に影響されず自分の考えに基づいて投票に行くことが、今私たちのなすべき事だと私は信じています。

今週のテレワークランチ (2022/07/04~08)

ただ一方で、故人を悼むことと故人の業績や人柄を評価・吟味することは別のことであるとも考えています。安倍元総理の業績を称える発言をしたい人が多数いるのは自然なことかもしれませんが、一方で彼のやって来たことに批判的な目を向ける人がいるのも同じくらい自然なことと思います。そしてそれは、彼の死を悼むことと矛盾しないはずです。

さらに言えば「パヨクやアベガーが散々反安倍を叫んだせいで殺された」「マスゴミの偏向報道が今回の事件を招いた」というような発言は「因果応報」「自業自得」という発言と同様に故人への冒涜と思います。少なくとも私は嫌悪します。

(補足)

ちょっと言葉足らずなところがありました。上記の「さらに言えば…嫌悪します。」の部分は、まだ何も真相がわかっていない中で死の原因を云々することは故人への冒涜だ、という意図でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です