旧統一協会をめぐるあれこれ

以下、時期や細かい状況についてはやや記憶が怪しいところがありますが、大筋では間違いないと思います。

大学の教養課程のクラスでは自治委員という役割がありました。学生自治会の議決機関である自治委員会にクラスの代表として出るのが仕事です。1年生の時 (1983年) だったと思いますが、たまたま誰かが勝手に推薦してそれを逃れる術を知らなかったか、或いは単にくじ引きで引いてしまったか、とにかく私にその役割が回ってきてしまいました。

はっきり言ってそういうのは苦手でした。中学では生徒会の役員をやったりもしたけど、正直言ってトラウマになってたほどです (その話はまたいつか書くかも)。それでもなったからにはしょうがない、と出席してみた自治委員会は、いくつかのセクトの非難の応酬と動議の繰り返しで、日付をまたいでも終わりが見えないという地獄。絶対に積極的には関わりたくないと思いながらも、サボったり途中で抜けたりはできないという変な律儀さのせいで、ただ黙って席に座って何時間も過ごしていたという記憶があります (幸い暴力的なことは皆無だったので黙って座っている分には無事でした)。

やがて、他にもいたそういうタイプの出席者数人と顔見知りになり、言葉を交わすようになりました。中でも人当たりのよく柔和な感じの一人とは多少親しくなり、気を許して話したりもするようになりました。延々続く抗争にうんざりだと愚痴を言い合ったり。

半年ほど経った頃、その彼が突如、原理研のビラ配りを始めました。ものすごく驚きました。原理研というのは統一教会 (当時) の教祖・文鮮明が提唱する統一原理を研究する学生団体で、自治委員会のセクト間抗争の当事者のひとつでした。同類だと思っていた彼は実はあちら側の人だったのです。当初の彼は、おそらく一般学生のふりをして我々の間に溶け込む隠密のような役割だったのかと思います。表に出たのは役割が変わったのか、出世したのか。誘われたり個人情報を伝えたりする前に変化があって本当によかったと思ったものです。


やはり大学生の頃、親しかった友人が突如消息不明になりました。2週間ほどだったか、1か月ほどだったか。心配していた我々の前に再び現れた彼は、以前とは表情が違いました。もしや?と一対一で話す機会を設けましたが、全く話が噛み合いません。何かの真理を探求しなければならない、というようなことを言っていたように思います (細かい内容は覚えていないのですが)。

その後彼は我々との交流を絶ちました。時々学内でビラ配りをしている姿を見かけることはあっても、もう言葉を交わすこともなくなりました。私を含む彼の友人たちは、早く気付けなかったことを悔やみ、戻るように説得できなかった自分たちの無力を嘆きました。


先日 (2022年7月11日)、世界平和統一家庭連合 (旧統一教会) は記者会見を行い、元総理狙撃犯容疑者の母親が信者だったことを認め、それを機にマスコミでも「(旧) 統一教会」「世界平和統一家庭連合」の名前が取り上げられるようになりました。上述のように統一教会の影をそれなりに身近に感じる学生時代を送った者としては、非常に注目しています。特に岸信介の時代から続く自民党と彼等の関係は、これを機会に全て明るみに出てほしいと思っています。

一方で、既に何人かの人が指摘していますが、容疑者は典型的な「カルト2世」であり、扱い方によっては他の同様の境遇の人たちに余波が及ぶ可能性をはらんでいます。この辺りの情報に言及する際は慎重を期したいと思います。

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