レッド・ツェッペリン:ビカミング

レッド・ツェッペリンがレッド・ツェッペリンになっていく過程を、メンバーへのインタビューと当時の映像で辿っていく、という映画。私がロックに目覚めたのはまさにレッド・ツェッペリンを聴いた瞬間からなので、こんな映画が撮られたこと自体が嬉しい。以下ネタバレありなのでご注意。

核となるインタビューは近年撮られたもの。もはやみんないい顔した爺さんだが、概ねポジティブに当時のことを振り返っていて、自分たちが創り上げたものについて誇りを持って語っている。加えて、1980年に亡くなったドラムスのジョン・ボーナムの未公開音声も挿し挟まれる。他の3人もインタビューの流れでその音声を聴いており、「あいつこんなこと言ってたのか」てな感じでニヤリと反応したりするのが何とも良い。また、挿入される曲の映像が主要な曲に関しては丸々ノーカットなのが素晴らしい。多くの音楽ドキュメンタリーで、曲がブツ切れにされて聴きながらもどかしさを感じた経験があるので、これについては喝采を送りたい (他の作品において、時間の制約の中でそうせざるを得なかったことは理解しつつも)。

以下印象に残ったことをいくつか (ここからはほんとにネタバレ)。

最初にツェッペリン以前の各人の生い立ちが語られる。ギターのジミー・ペイジ、ベースのジョン・ポール・ジョーンズがミュージシャンとしてのキャリアで一歩先んじており、ジョン・ボーナムも実力を認められたドラマーだった一方で、ボーカルのロバート・プラントは破天荒でちょっとワルだった。バンドを組むことになった時、ボンゾ (ボーナム) の妻が「プランティ (プラント) とは組まないで、彼はハチャメチャよ」と言ったほど。彼女が強硬に止めていたら我々はボンゾのいるツェッペリンを聴くことができなかったわけで、周囲からの説得が功を奏してボンゾがバンドに参加してくれたことは幸いであった。

もっともこの件に関しては、良き夫であり良き父であり、既に安定した収入を得ていたボンゾの人生が、家族ともどもこの時から大きく変わって行くことを意味する。結果としてそれが十数年後の悲劇へとつながるわけで、妻の言葉が悲しい予言になってしまったようにも思う。もちろんプラントのせいではないし、映画の中でそのようにこの話を結びつけたりもしていないが、ふと連想してしまった。

ペイジの音楽的アイディアとプロデュース力については、今回改めて驚かされた。ヤードバーズ時代の “Dazed and Confused” を聴くと、ツェッペリン版に盛り込まれたアイディアは既にこの時点で概ね完成していたことがわかる。一方で同じような構成でありながらツェッペリン版が輝いているのは、何よりまずプラントの声の力が大きいということも思い知らされる。ペイジにしてみれば、彼のアイディアを理想的な形で具現化できるメンバーを得たのがツェッペリンだったのだろう。他にもファーストアルバムをデモ録音ではなく完パケの形でレコード会社に持ち込んで他人の干渉を排除したり、セカンドアルバムの “Whole Lotta Love” に長いサイケデリックなパートを挟み込んでシングルカットを阻止したり (ペイジはシングル盤を出すことを嫌った) といった明確な戦略がすごい。これも完璧なメンバーを得て最高の作品を作れるという自信の裏付けがあればこそ。

ボンゾとジョンジー (ジョン・ポール・ジョーンズ) の音楽性の高さも素晴らしい。ジョンジーはボンゾの右足に惚れたと言い、ボンゾはジョンジーとうまくやっていると言う。あえてちょっとスペースを空けて相手に遊ばせたりしながら二人が創り上げたグルーヴは空前、未曾有。

全体に言葉の密度がとても高く、いつまでも話を聞いていたいと思わされる。この調子でセカンドアルバム以降の話も聞きたいが、それでは何時間あっても足りない。話や曲を切り貼りしてもっと後の年代まで詰め込むような作り方を選択することもできたはずだが、そうしなかったことをむしろ感謝したい。その上で、もし可能なら続編を待望する。

レッド・ツェッペリン:ビカミング

Becoming Led Zeppelin

監督・共同脚本:バーナード・マクマホン

出演:レッド・ツェッペリン

  • ジミー・ペイジ Jimmy Page (g)
  • ロバート・プラント Robert Plant (vo)
  • ジョン・ポール・ジョーンズ John Paul Jones (b)
  • ジョン・ボーナム John Bonham (ds)

鑑賞日時:2025年10月5日 (日) 13:00〜

劇場:東京・渋谷 シネクイント

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