自分の「聴覚」に多大な影響を与えたレコード (12) ロコへのバラード~われらのタンゴ “Nuestro Tango”

Facebook のバトン「自分の『聴覚』に多大な影響を与えたレコード」の補足として書いていたこのシリーズ、前回以降は日本タンゴ・アカデミー機関誌「Tangueando en Japón」向けに特別延長編として続けています。

今回取り上げるレコードはこちら。

ロコへのバラード~われらのタンゴ Nuestro tango (日本盤:1982, RPL-2027 / アルゼンチン盤:1979, AVS-4659, RCA)

聴覚刺激ポイント:現代タンゴの一つの理想形との出会い

前回に続いて今回のレコードもいわゆるオムニバス盤です。私は日本盤を購入しましたが、元々アルゼンチンで編集されたアルバムです。収録曲は以下の通り (表記は日本盤に準じます)。

A面

  1. わが人生のすべて Toda Mi Vida
  2. 悲しきミロンゲーロ Milonguero Triste
  3. ロコへのバラード Balada para un Loco
  4. チキリン・デ・バチン Chiquilin de Bachin
  5. 帰郷 Volver
  6. 動機 El Motivo

(1, 2) アニバル・トロイロ四重奏団

(3, 4) アストル・ピアソラ楽団 唄) ロベルト・ゴジェネチェ

(5, 6) アニバル・トロイロとアストル・ピアソラ (バンドネオン二重奏)

B面

  1. ベレティン Berretin
  2. 靴音高く Taconeando
  3. ロカ・ボヘミア Loca Bohemia
  4. グアルディア・ビエハ Guardia Vieja
  5. 恋人なんかいなかった Nunca Tuvo Novio

(1~4) エンリケ・フランチーニ楽団

(5) フェデリコ=ベリンジェリ三重奏団

本国でリリースされた1979年は、ここに収録されたトロイロやフランチーニを含む多くの巨匠が亡くなりタンゴ人気が一層凋落、「タンゴ・アルゼンチーノ」による世界的タンゴブームはまだ先、というタイミングになります。録音年代こそ1968年~71年頃とリリースの約10年前ですが、当時のアルゼンチンでタンゴを愛する人々にとって、自分たちの世代のタンゴ、まさに「われらのタンゴ」だったのだと思います。一方遠く日本で、ようやくある程度タンゴというものがつかめて来た私としては、黄金時代の楽団よりは新しく、ピアソラの最新の録音 (ちょうど本シリーズ第7回で紹介した『アストル・ピアソラ・ライブ ’82』等) よりはトラディショナルなタンゴに近いものとして、新鮮に受け止めました。

A面はまずアニバル・トロイロの四重奏団からスタート。このアルバムの中では最もタンゴらしい演奏かと思います。続くゴジェネチェの歌は、ピアソラの伴奏のスタイルこそかなりタンゴの枠をはみ出していますが、ゴジェネチェの歌い方に宿るポルテーニョの語り口が強烈にタンゴを感じさせます。そしてトロイロ=ピアソラのバンドネオン二重奏の美しさたるや。力強くメロディを歌い上げるトロイロを柔らかく包み込むような和声でサポートするピアソラ。その師弟愛溢れる演奏は何度聴いても胸を打つものがあります。

ここまでの内容も素晴らしいのですが、このアルバムの真価はB面にあります。4曲続けて収録されているエンリケ・フランチーニのグループの素晴らしいこと!その演奏には初めて聴いた瞬間から虜になりました。編成は八重奏で、メンバーは

バイオリン:エンリケ・フランチーニ、ロマーノ・ディ・パオロ、サンティアゴ・クチェバスキー
ビオラ:ネストル・パニック
チェロ:エステバン・リビック
ピアノ:オルランド・トリポディ
バンドネオン、編曲:ディノ・サルーシ
コントラバス:キチョ・ディアス

という豪華なもの。特にディノ・サルーシのバンドネオンの音色の美しさと独創性に満ちた編曲には圧倒されました。「ベレティン」の躍動感と格調高い終盤、「タコネアンド」のスピード感、「ロカ・ボエミア」のロマンチックな美しさ、「グアルディア・ビエハ」の力強さ、そしてすべての曲に効果的に配置されたマエストロ・フランチーニの唯一無二の音色によるソロ。これぞ現代タンゴの一つの理想形だ、と確信し、その想いは今も変わりません。

サルーシはこの後タンゴからは距離を置き、フォルクローレをベースにジャズやクラシックも取り入れた独自の音楽の創造に進みますが、これを聴くと彼のタンゴももっとたくさん聴きたかったという気持ちになります。この編成のフランチーニの演奏についても、4曲だけでは物足りない、きっと元となったフルアルバムがあるはずなのでそれを聴きたい、と思い続けていましたが、後に彼等の録音はこの4曲だけであることを知り、がっかりすると同時にこのアルバムを聴けて本当に良かったと思ったものです。

ラストのフェデリコ=ベリンジェリのトリオ名義のトラックは、実際にはベリンジェリとカバルコスのデュオによるもので、私にとってはこの曲のみ元のアルバムを持っていて既知の演奏でした。ベリンジェリのジャズ的な感覚とロマンチシズムに溢れた演奏です。

残念ながらこのアルバム、その後 CD にはなっておらず、現在のオンラインストリーミングサービスにも上がっていません。大半の音源は他のアルバムで聴くことができますが、肝心のフランチーニの演奏は今に至るまでデジタル化されていないのです。多くの人に聴いていただきたいのに「頑張って中古の LP を探してください」としか言えないのが非常にもどかしいです (実は「ベレティン」のみ非公式なコピーが YouTube に上がっていますので、興味のある方は “francini berretin” で検索してみてください)。

フランチーニ以外のトラックについては下記のプレイリストにまとめてみました。

いろいろ便利になる一方で、優れた録音がメディアの進歩に取り残されて埋もれてしまうのは非常に残念なことです。せめてこのような形でも記録に残して、聴きたい人が探せるように、あわよくば今後のデジタル化につながるように、と願っています。

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