フアン・ホセ・モサリーニを悼む

2022年5月27日、バンドネオン奏者、作編曲家、楽団指揮者のフアン・ホセ・モサリーニがパリで亡くなりました。78歳だったそうです。

彼のバンドネオンの深く美しい音色は心に残るものでした。以前、バンドネオン奏者の早川純さんにインタビューした際に「一つの音だけで涙が出てくるような」とモサリーニの音の魅力を語っていたのが印象に残っています (月刊ラティーナ 2016年9月号)。

亡くなってから既にずいぶん日が経ってしまいましたが、個人的な想い出や YouTube の映像、Spotify の音源で彼の音楽を振り返ってみたいと思います。

経歴等については、今さら私がいろいろ書かなくても素晴らしい文章がいくつもありますので、それらをご紹介します。まずは佐藤由美さんによる Mikiki の記事。ディスク評ですがモサリーニ本人の人となりや音楽性が伝わってくる文章です。

こちらは e-magazine Latina が追悼のため再掲した2014年の来日の際の記事。斎藤充正さんによる解説と、小松亮太さんによるインタビューです。

やはり2014年に書かれた西村秀人さんのブログ記事。モサリーニの経歴のほぼ全てが網羅されています。→ 西村さんご自身が note に転載・追記されていましたのでリンクを差し替えます。

ライブで聴いたフアン・ホセ・モサリーニ

思い返せばモサリーニのコンサートには何度も足を運びました。

ピアソラ没後5周年にあたる1997年に開催された『オルタナティヴ・ピアソラ』というコンサートが私にとって最初のモサリーニ生体験でした。私が観に行った初日 (7月1日) には、自身の率いるオルケスタ、アントニオ・アグリとのデュオ、モサリーニ=アグリ五重奏団で出演。素晴らしかったなあ。

このステージに感動して、モサリーニ=アグリ五重奏団単独の公演にも行きました。

その時書いた web 記事、まだ残ってます。

オルタナティヴ・ピアソラ

翌1998年にアグリが亡くなり、その後の来日公演では息子のパブロ・アグリが参加したりもしていました。その辺の記録は残念ながら見つからず…。やがてしばらく来日公演も途絶えてしまいます。

2014年には10年ぶりにモサリーニが単独で来日し、日本のミュージシャンと共演。小松亮太さん渾身の手描きフライヤー入り告知もありました。

私は東京の江古田 Buddy での公演は日程が合わなくて行けず、船橋まで遠征したのでした。

ああ、来られて良かった!モサリーニのバンドネオンの音色の深さ、美しさに感動。近藤久美子さんのバイオリンも鳥肌もの。モサリーニと早川くんの師弟デュオは白眉。船橋限定のこのデュオを聴けたのは本当にラッキー。

Facebook のコメントに書いた感想

2017年には自身のグループで来日。また浦和では日本のバンドネオン奏者6人と共演するという公演もありました。

日本人バンドネオン奏者6人と、フランス在住アルゼンチン人のバンドネオンの巨匠フアン・ホセ・モサリーニの共演。各自がソロ~トリオで演奏し、最後に7人全員で合奏という構成で、タンゴありクラシックありジブリありのバラエティーに富んだ内容。それぞれの個性がしっかり出て面白かった!

マエストロ・モサリーニは別格として(ソロの「ペドロとペドロ」はほんと涙もの)、個人的に印象に残った人を一人だけ挙げるとしたら北村聡君かな。素晴らしかった。

Facebook のコメントに書いた感想

武蔵野文化会館での公演も行ったのですが、整理が悪くて記録が見つからず…。これがモサリーニの演奏に接した最後になってしまいました。

映像で観るモサリーニ

モサリーニの演奏する姿を YouTube からいくつか拾ってみました。

まずはオスバルド・プグリエーセ楽団での演奏で曲は「マーラ・フンタ」。バンドネオンはトップのアルトゥーロ・ぺノンをセンターに、右にモサリーニ、左にダニエル・ビネリという陣容です。ロドルフォ・メデーロスが抜けた1975年頃のものと思われます。こういう楽団で研鑽を積んだことが後年の素晴らしい活動に繋がっていったのですね。

年代は前後しますが1974年12月、ブエノスアイレスのコリセオ劇場で行われたアストル・ピアソラのコンサートでの模様です。ピアソラがイタリアに渡ってロックやジャズを取り入れた路線に舵を切り、アルバム『リベルタンゴ』を録音した直後にあたります。曲は「アディオス・ノニーノ」。

バンドネオンは左からモサリーニ、ピアソラ、ビネリ、メデーロス。ピアソラ以外の3人は、上述のプグリエーセ楽団に在籍しつつバンドネオンを使ったロックにも取り組んでおり、当時最も先鋭的な若手バンドネオン奏者たちでした。

モサリーニはその後パリに渡り、以後ずっとパリを拠点に活動してきました。小編成で質の高いオリジナリティ溢れる現代タンゴを演奏していましたが、その時期の映像は残念ながら見当たりませんでした。

一方、1988年から音楽学校でバンドネオンの教授として活動し、フランス人だけでなく世界中から集まった若手バンドネオン奏者を指導しました。さらに1992年には大編成の楽団も立ち上げます。実態は紛れもなくかつてのタンゴの標準的な編成、いわゆるオルケスタ・ティピカで、若手ミュージシャンと共に過去の名楽団のレパートリーを再現しています。自身がプグリエーセやレオポルド・フェデリコ、オラシオ・サルガン等の巨匠のもとで学んだ経験を若手にも伝えたい、という想いがあったのでしょう。同様のコンセプトを持つブエノスアイレスのオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴ (タンゴ学校オーケストラ) に先駆けるもので、非常に価値のある業績だと思います。これは2009年の映像で「シウダー・トリステ」(悲しい街)。

冒頭で言及した早川純さんもモサリーニのもとで学んだ一人です。こちらは上でも述べた2014年の来日公演でのもので、モサリーニ=早川のデュオによる「ディバガシオン・イ・タンゴ」。船橋公演の映像なのでまさに私が観に行った時のものです。

こちらは2017年の四重奏団の演奏。曲は “Apretonados” となっていますが、実際は別の曲 (正しい曲名は不明)と「デカリシモ」です。

最後に一番新しい映像として、2021年3月5日~20日にピアソラ生誕100年を記念してブエノスアイレスのコロン劇場で行われたコンサートでの映像を紹介します。初日の3月5日はルイス・ゴレリク指揮コロン劇場専属オーケストラによるプログラムで、ここにソリストとしてモサリーニが登場しています。共演はギターのセサル・アンヘレリ、コントラバスのフアン・カルロス・ナバーロ。またモサリーニの前にはディエゴ・スキーシーの五重奏団も登場しています。

モサリーニの登場は00:32:30頃で、曲目は「AA 印の悲しみ」、バンドネオンとギターのための協奏曲『リエージュに捧ぐ』、組曲『タンゴの歴史』より「ナイトクラブ1960」。モサリーニ退場後もコンサートは続きますが、01:29:10頃から何等かのトラブルで無音になってしまうのは惜しいところです (モサリーニの演奏はちゃんと聴けます)。

モサリーニは立ち上がったときにちょっと足腰の衰えを感じるものの、演奏はしっかりした素晴らしいものでした。同コンサートでは何人かの巨匠が音楽的にもかなり危うかったのを観てしまっただけに、モサリーニはまだまだ大丈夫、と安心していたのですが…あれから1年余りでこんなことになってしまうとは、本当に残念です。

Spotify で聴くモサリーニ

Spotify で聴けるモサリーニのアルバムから1、2曲ずつ選んでプレイリストを作りました。年代順に列べてありますので、彼の歩みをたどりつつ素晴らしいバンドネオンの音色をお楽しみください。

曲解説は後日追記するかもしれません。今日のところは簡単にメモだけ残します。

1はロドルフォ・メデーロス率いるバンド《ヘネラシオン・セロ》(ゼロ世代) によるもの。バンドネオン3台 (メデーロス、モサリーニ、ビネリ) とサックス/フルート、ベース、ドラムスという編成でロックをやっています。バンドネオンが切れ味良く和音を鳴らすと何だかブラスロックのような響きにも聞こえる、というのは個人的な発見。

2, 3, 7, 8はバンドネオン・ソロのアルバムに収められたもので、2, 3は1979年録音、7, 8は1991年リリース。2, 7 は多重録音も使っており、また8はバイオリンのアントニオ・アグリとのデュオです。

4~6はグスタボ・ベイテルマン、パトリス・カラティーニとのトリオによるもの。それぞれ1982、87、89年のアルバムからの曲です。6にはギターのマルク・デュクレも参加しています。

9、10はフルートのエンソ・ヒエコとのライブアルバムから。9はバロック時代のイタリアの作曲家ヴェラチーニのソナタ、10はピアソラ作のバンドネオン・ソロ曲です。

11、12、15、16は若手を集めたオーケストラによるもので、11、12は1994年録音、15、16は2000年のライブ録音。13、14は1996年録音のモサリーニ=アグリ五重奏団のアルバムから。

17、18は2015年のライブ録音。編成は四重奏で、他に歌手やダンスも参加したショーの収録です。


ロックやジャズを取り入れて革新的なタンゴを創りつつ、もう一方では伝統を重んじてそれを若手に伝える役割も自ら担っていたのがモサリーニでした。タンゴにとっては異国の地フランスで、変わらずタンゴの魂を持ち続けたのが彼の人生だったと思います。ご冥福をお祈りします。

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