とにかく圧巻のステージパフォーマンス!まず演奏自体が完璧!さらに、あらゆるケーブル類から解放されたメンバーの自由な動きとバーンの歌唱、ダンス、そして語りまでを含めたトータルのステージアートとして、ものすごい完成度でした。それを映画という形に固定したスパイク・リーの手腕も見事でした。これはデカいスクリーンとデカい音で観ないと勿体ないです。もっとも実際映画館で観ると、自然に身体が動いてしまって周りに迷惑をかけてないかと気になっちゃったり (小心者です)。絶響上映、爆音上映とかの類いで観るといいだろうなあ。
一方で、『ストップ・メイキング・センス』との違いも感じました。『ストップ・メイキング・センス』でのバーンって、何となく生身の人間感が薄いというか、アンドロイドみたいだと感じるんですよね。いや、ものすごい運動量でステージを走り回るフィジカルな印象も確かに強烈です。でも「サイコ・キラー」で歩き回りながらリズムの乱れにつんのめりそうになる動きとか、「ワンス・イン・ア・ライフタイム」の電撃を受けたようなアクションとか、重力の制約を離れたような浮遊感のある動き、あの有名なビッグスーツを着た姿、等々…。そして、言葉で客席に語りかけることもほとんどなく、あくまでクールに、観客とのコミュニケーションは楽曲を通じて行う、というスタイル。もちろんそれがかっこよかった訳ですが。
『アメリカン・ユートピア』でのバーンの姿はそれとはずいぶん印象が違いました。冒頭の脳科学の話に始まり、曲間ではユーモアを交えつつかなり饒舌に、歌詞の内容や演出意図から社会・政治の話に至るまでを語っています。曲が始まればやはり電撃アクションや浮遊感のあるダンスは健在で、かつてのアプローチと方向性にそれほど違いはないのですが、それを行っているのはクールなアンドロイドではなく、知的でフレンドリーな生身の初老の紳士としてのデイヴィッド・バーンでした。そして、この態度こそがこの映画で彼が繰り返し発していたメッセージを具現化したものでした。
『アメリカン・ユートピア』のタイトルロゴでは『ユートピア』は逆さまに書かれています。現状はユートピアの反対、という認識なのでしょう。でもバーンのメッセージは、それを認めた上でなおポジティブでした。人々は再びつながって行こう、我々は良くなって行ける、その可能性がある、というメッセージ。何よりそれをフレンドリーかつオープンに言葉で語ることが、かつてのストップ・メイキング・センス=意味付けなんてやめちまえ、理解なんてするな、という突き放した態度からの大きな違いであり、それ自体がメッセージなのだと感じたのです。
そして、残念ながら新型コロナウィルスのおかげでつながることが難しくなっている現在の私たちを思うと、より一層そのメッセージが強く響いて来るのでした。
それにしても、この映画の時点でバーンは確か67歳ですが、あの人は歳を取らないのでしょうか。『ストップ・メイキング・センス』での全力疾走に近い運動量に較べればおとなしいものの、その動きに垣間見える体幹の強さとバランス感覚は驚異的です。そして声にも全く衰えが感じられない。枯れた味わいとかは全く無縁で、キーも力強さも若い頃のままです。そういう意味では、彼はやはりアンドロイドなのかもしれません。
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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“デイヴィッド・バーン アメリカン・ユートピア” に対して3件のコメントがあります。