ソニーでの37年を振り返る (前編)

退職しました

2024年3月末日付けでソニーグループ株式会社を退職しました。これまでブログでは本業の内容には触れていませんでしたが、一区切りということでソニーでのキャリアを振り返ってみたいと思います。退職に伴いたくさんの書類を破棄しましたし、そもそも既に社内情報にはアクセスできませんので、記憶に残っているうちに、という意味もあります。とはいえ当然守秘義務もありますので、一般公開されている情報の範囲に限定します。

大雑把に分けると、前半は光記録技術の開発、後半はメタデータ、自然言語処理、機械学習等を応用した技術の開発に従事しました。書き始めてみたら結構長くなってしまったので、今回は前半部分です。

光記録技術の開発

磁気超解像

私がソニーに入社したのは1987年でした。まだ創業者の井深さんが名誉会長、盛田さんが会長で、大賀さんが社長だった時代です。

最初に配属されたのは、光記録技術の開発を行っている研究所でした。そこで電気系の開発者としてアナログ信号処理やサーボ (主にスピンドルサーボ) を担当。入社2年目で光磁気ディスクの容量を大幅に向上させる磁気超解像技術 (MSR, IRISTER) の開発チームに加われたことはとても有意義でした。対外発表したのは1991年。なんと当時の記事がありました。

論文も何本か書きましたね。これとか。

この技術はその後、ソニーと富士通の共同開発による高密度MOディスク規格GIGAMOに採用されました。また後年、若干異なる原理の高密度化技術であるDWDDについても開発に加わりましたが、こちらは後のHi-MDに採用されています (GIGAMO、Hi-MDとも私自身は商品化には関与していませんが)。

SDDS

一方、1992年には映画フィルムにデジタル音声を記録するSDDSの開発にも参加しました。

35mmフィルムの音声トラック部分の拡大写真 (この右に画像が記録されている):左からSony SDDS、Dolby Digital、アナログ、そしてDTSタイムコード。Rotareneg, CC BY-SA 3.0

上の写真でわかる通り、SDDSが使っているのはフィルムの一番端の部分。傷が付きやすい場所ですが、他の領域は既に使われていてここしか使えなかったので、悪条件でもエラーが起きないような様々な工夫を施しました。ちなみに私はこの記録パターンのフォーマット決めと、実際にこの部分をセンサーで読み取ってデジタル信号に変換する部分の試作を担当しました。

1993年にはこのフォーマットを使った最初の映画『ラスト・アクション・ヒーロー』が公開され、その後も主に米国で多くの劇場に導入されましたが、やがてフィルムに記録したタイムコードに同期したCDから音を出すDTSの方が広く使われるようになり、記録方式としてのSDDSはほぼ姿を消しました。そして今や映像もフィルムではなくデジタルになっています。現在も映画のエンドロールにSDDSのロゴが表示されることがありますが、これはオーディオフォーマットとしてのSDDSです。

DVD

光ディスクに映像を記録する方式として、元々ソニーはフィリップスとともにMMCD (Multi Media Compact Disc) という規格を作っていました。私もそのチームにアサインされ、主にディスクにデータを記録する符号化方式やその再生系の規格化と試作、商品向けの開発を行っていました。一方東芝を中心とした陣営はSD (Super Disc) 規格を作り、両者のフォーマット戦争の様相を呈していました。1994〜5年ぐらいのことです。

その後、1995年に両フォーマットの統一が発表され、現在のDVDフォーマットができました。大部分はSDの技術を受け入れつつ、いくつかの点でソニーの技術も採用されたのですが、その中のひとつが私が担当していた符号化方式でした (私が発案したものではないので単に担当者というだけですが)。実際に統一規格をまとめるための東芝との会議に出席したりもしました。

規格がまとまると同時に商品化も進められ、初めてLSIの設計、商品の回路設計も行いました。そうして1997年に発売されたのがソニーにとってのDVDプレーヤー1号機、DVP-S7000です (写真はソニーグループポータル | 商品のあゆみ・レコーダー/プレーヤーより)。

DVDに関しては、2号機向けの新たなLSIの設計も担当しました。

原理検討に近い段階から規格化、試作、商品化、LSI設計と様々な経験を積むことができて、ものすごく勉強になったのがこの時期でした。

光記録技術からの卒業

DVDから離れたあと、また次の世代の技術開発にアサインされます。再び原理検討、試作、規格化等の仕事をやりましたが、残念ながらここに書けるものはありません。あ、磁気超解像のセクションで触れたDWDDはこの頃だったかな。諸事情あってブルーレイの開発には関わりませんでした。

最後に手掛けた技術が商品化フェーズに入ったのが2003年頃。当時は電気系のリーダーもやっていましたが、思うところがあって光記録の世界からの卒業を決意します。社内の伝手をたどって何とか異動が決まり、新たな世界へと足を踏み入れることになったのが2004年春頃のことでした。今からちょうど20年前です。

以下後編へ。

ソニーでの37年を振り返る (前編)” に対して2件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です