参政党の憲法草案を読んでみた
参政党ってどういう党なのか。もともと身体反応レベルでこの人たちに反発を感じてきた私だが、報道等で得てきた断片的な情報だけでなく一度彼等の主張にきちんと向き合ってみるべきだと考え、彼等の現在掲げる政策、第27回参議院選挙 (2025年7月20日投票) の公約、その公約にも掲げられている「創憲」の考え方に基づいた憲法草案を読んでみた。本記事ではこの中で、憲法草案に関して感じたことをまとめてみようと思う。なぜ3つの中で憲法草案を選んだかというと、長い目で見て彼等が日本をどのような国にしたいと思っているのか、その想いが込められている文書と考えられるからだ。
最初に大雑把にまとめておくと、彼らは戦前のような天皇中心の国家を目指しているように思われる。そして国民の規定を厳格化し、外国人の関与を制限すると同時に、従来の日本人の中にも線を引こうとしているようにも見える。また、憲法で定めるには細かくて流動的要因が大きいものを取り込んでいる一方で、現行憲法で規定している人権や平等に関してはそれを取り扱う条項そのものを削除している。トータルで見て、このような憲法草案から想定される日本の将来像は私には受け入れがたく、それを志向していると考えられる団体には権力を与えてはいけないという思いが強い。
以下詳細に入る。ここに書いている内容は2025年7月13日にアクセスした
参政党が創る 新日本憲法 (構想案) 令和七年五月 参政党創憲チーム作成
に基づく。ぜひ実際の条文、そして現行の日本国憲法の条文とも照らし合わせながら読んでいただきたい。
目次
天皇について
前文から大きく取り上げられているのが天皇。その天皇のあり方を規定した第一章の第一条で、日本は「天皇のしらす君民一体の国家」であり、「天皇は国民の幸せを祈る神聖な存在」と規定される。さらに第三条では現行憲法下で天皇が行う任命行為や国事行為について「内閣の責任において、以下の事項を裁可することができる」としている (太字は筆者)。つまり天皇に拒否権が与えられる。拒否は一回に限られる旨の規定もあるが、前述の神聖性と併せると大きな権力になりかねない。民主的に選ばれた存在ではない天皇にそのような権限を与えることは妥当なことだろうか。
男系男子による継承も明文化されている。現在行われていることの追認ではあるが、皇位継承者の不在という問題が発生し得るため昨今議論になっている。この案では他の選択肢を封印する形だ。
国家、国民、国防
第二章は国家。第四条で国家の主権を規定している一方で、前後を含め国民に主権がある旨の記述は一切ない。そもそも上述の通り「君民一体の国家」なのだから当たり前か。
第五条の国民の要件として「父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心を有すること」とあるが、心の問題を憲法で規定することに対しては大きな疑問がある。「日本を大切にする心を有する」ことをどうやって判断するというのか。その場合の日本とは何か。同条の「日本をまもる義務」の指す日本は。国土か、国民か、文化か。この憲法なら「天皇のしらす君民一体の国家」だろうか。第一義的には帰化要件の厳格化などの根拠としたい部分なのだろうが、現に国民である者についても線引きを行うものとなるだろう。私も国民ではなくなるかもしれない。既にSNSなどで、自分と違う主義主張に対して「日本人ですか?」などと問いかける人が出現しているが、そのような発言にも明確な根拠を与えてしまうだろう。
第三章は国民の生活。第七条では家族のあり方を憲法で縛り、同性婚や夫婦別姓についても完全に否定している。多様性を尊重する方向性とは真逆だ。第九条では教育において神話や修身を必修化し、教育勅語など歴代の詔勅を尊重するとしている。戦前の価値観を何より復活させたいという思いが見える。
第四章は国まもり。第十九条の外国人と外国資本に関する規定では、帰化後三世代を経なければ公務に就くことができないとある。ここでも日本人の中に線を引く考え方が見られる。帰化した者は等しく日本人、ではないのか。領土等の保全を定めた第二十一条では外国の軍隊の国内駐留や基地等の設置を禁じているが、日米安保は破棄なのだろうか。
その他わざわざ書いていること、あえて書いていないこと
第七章の重大事項における第三十二条で「国際機関の決定や勧告は、憲法または日本固有の慣習に反する場合、効力を有しない」とあるのは、これまで国際協調を旨としてきた日本のあり方を根本から変えるものであり、看過しがたい。
第十条から十二条では、食糧と生活基盤、健康と医療、環境の保全が取り上げられている。内容面でも気になるところはあるが、そもそもこのような項目を憲法で規定すること自体に違和感がある。今後の国際情勢や科学技術の発展によりある程度柔軟に政策を変えて行くことが想定される分野であり、これらを憲法で縛ることの意味は理解しがたい。
逆に、現行憲法で規定されている項目でこの草案にはないものも多い。例えば基本的人権、法の下の平等、投票の秘密、裁判の公開、逮捕・拘留・拘禁・残虐な刑罰などの禁止、等々。あえて書かないことでこれらに関する憲法からの制約は取り払われる。例えば制定された法律が法の下の平等を侵していると思われる場合でも、違憲訴訟の形でその有効性を争うことはできない。変更ではなく項目そのものをなくしたということの狙いは、そこにあるのではないか。
言葉遣い
ここまでの内容も個人の感想ではあるが、以下はより感覚的なことを述べる。
変な言葉遣い、文字遣いが多いのだ。最初に目についたのが「國體」の語。他の部分は基本的に常用漢字が使われているのに、この語だけはあえて旧漢字で書かれている。これは国の形一般を表すものではなく、明治憲法と教育勅語を基礎とした固有名詞としての「國體」であると考えるのが自然だろう。また「権利」ではなく「権理」と書かれているのも気になる。これも現在我々が思う権利とは異なる、公共の福祉を重視した形での権限を表現したかったように思える。
そしてそれ以上に不気味なのが「国まもり」の語。「国防」ではなく「国守り」でもなく「国まもり」。何なんだろう?
まとめ
以上、参政党の憲法草案を読んだ感想をまとめてみた。冒頭にも書いたが、このような憲法草案から想定される日本の将来像は私には受け入れがたく、それを志向していると考えられる団体には権力を与えてはいけないという思いが強い。その思いを共有してくれる人が一人でも多いことを祈る。
卓球好き、音楽好きです。飲み食い好きが高じて料理もします。2024年ソニーグループ(株)を退職し、同年より(株)fcuro勤務のAIエンジニアです。アルゼンチンタンゴ等の音楽について雑誌に文章を書いたりすることもあります。
なお、当然ながら本サイトでの私の発言は私個人の見解であります。所属組織の方針や見解とは関係ありません (一応お約束)。
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