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リベルタンゴの時代〜行きあたりばったり音楽談議(10)


よしむらのページ : 雑文いろいろ : リベルタンゴの時代〜行きあたりばったり音楽談議(10)


はじめに

ピアソラの没後10周年の命日に合わせて2002年7月3日に発売された『ピアソラの挑戦〜リベルタンゴの時代』(キングレコード、KICP−876〜7)は、1970年代半ば〜後半のピアソラの活動を俯瞰するには最適のCDと言えます。2枚組のCDに『リベルタンゴ』『リュミエール』『オランピア77』『ビジュージャ』という4枚のアルバムが収められているのです。特に、ライブ盤の『オランピア77』はこれまで世界中どこでも全くCD化されておらず、多くのピアソラ・ファンが待ち望んでいたものです。

今回は、このCDに収められた各アルバムについて、いろいろ思うところを書いてみようと思います。CDに添付のライナーにも詳しい解説がありますので、歴史的背景などは(ぜひCDを購入の上)そちらを参考にして下さい。

ピアソラの挑戦〜リベルタンゴの時代

リベルタンゴ / LIBERTANGO

「リベルタンゴ」といえば、ヨーヨー・マの演奏がウィスキーのコマーシャルで使われて以来、日本ではピアソラの最も良く知られた楽曲となりました。この曲がタイトルに据えられたこのアルバムは、ブエノスアイレスでの活動に行き詰まりを感じたピアソラがローマに活動の拠点を移して最初に作ったもので、1974年録音です。

以前にも書きましたが、「リベルタンゴ」をヨーヨー・マの演奏のイメージで聴くと結構びっくりするでしょうね。なんせドラムやエレキ・ベースが活躍する16ビートの曲なんですから。ただ、一応ジャズやロックの手法を取り入れた、ということにはなっていますが(私も時々そう書きますが)、実際のところジャズやフュージョンの感覚とも、ギターがギンギンに鳴るロックとも、ちょっと違う気もします。何となく漠然としていますが「ポップス」という言葉の方がぴったり来るかもしれません。映画音楽みたい、と感じる人もいるかも。

一方で、個人的にはアルバムの中では比較的地味な存在の「アメリタンゴ」「トリスタンゴ」から、なぜか一番ロック的なものを感じます。前者はアメリータ・バルタール(『ブエノスアイレスのマリア』初演時の主演女優・歌手で、一度ピアソラの妻だったがこの時期ゆるやかな破局が訪れていた)の名前を取ったもので、ずっとシンプルなモチーフが繰り返される曲想、手法は1969年の作品「ミケランジェロ70」とも相通じるものがある気がします。後者はバンドネオンの多重録音とハモンド・オルガンが瞑想的な雰囲気を作り出す曲です。

参加ミュージシャンはピアソラ以外は基本的にタンゴとは無縁のイタリア人スタジオ・ミュージシャン。なんとなくノリが悪いのですが、そんな中で孤軍奮闘しながら新しい試みに挑戦するピアソラの、強い意欲が感じられます。

リュミエール

女優ジャンヌ・モローが監督した映画『リュミエール』のサウンドトラックと、ピアソラの師とも呼べる存在であったバンドネオン奏者アニバル・トロイロの訃報に接して作られた「トロイロ組曲」とのカップリングです。いずれも1975年録音。

「トロイロ組曲」でのベース・ラインの動きなど、いかにもピアソラ、といった感じで非常にタンゴ的なんですが、グルーヴ感は今一歩です。が!そんなことはこの際どうでもいい、と言いたくなるほど強力なのが、ヴァイオリンのアントニオ・アグリの参加です。1960年代からずっとピアソラと共に歩んできた彼の存在感はやはり非常に大きく、『リベルタンゴ』に比べると全体が一気に引締まった感があります。

『リュミエール』のサウンドトラックは、どれも非常に美しい。特に「死」の導入部と終盤では、心臓の鼓動がリズム・トラックのように使われ、切実さを増す効果を上げています。バンドネオンとヴァイオリンの感情表現も胸に迫るものがあります。

4部からなる「トロイロ組曲」の方は、ピアソラからの愛情がひしひしと感じられる名曲です。これはもうゴタゴタ言わずに聴いてもらうしかないです。

オランピア77

個人的に最も嬉しいのがこのアルバムの復刻です。

ピアソラはこの時期、スタジオ録音では上述のようにローマやパリのスタジオ・ミュージシャンを使ってアルバムを作っていたわけですが、ライブではアルゼンチン人のミュージシャンによる「コンフント・エレクトロニコ」というグループで活動していました。ロック世代の実力派ミュージシャンによるこのグループはタイトでグルーヴ感溢れる演奏を展開していた…と本などでは読むものの、何とも齒痒いことにこの編成でのスタジオ録音は行われず、ライブ録音も正規なものとしてはアルバム1枚のみでした。その1枚がこの『オランピア77』。権利の関係からか今日まで全く復刻されていなかったこのアルバムの、ようやくの復刻なのです。LP時代、このアルバムが広く出回っていた頃にはあまりピアソラが好きでなかった私は、後年になって「どうして買っておかなかったんだろう」と、とても悔しい思いをするわけですが、ようやくその悔しさからも解放される日が来た、という訳です。

少し詳しい方なら、『ブエノスアイレス1976』(クラウン, CRCI 20406)というライブ盤があるではないか、と言われるかもしれません。しかしながら、これは元々公開される意図で録音されたものではなく、音質も今一歩なら演奏も曲によっては精度に欠けるものがあります。今回の『オランピア77』を聴いた後では、グループの実力が十分に伝えられているアルバムとは言えない、ということがはっきりわかってしまいます(ちなみに両アルバムではメンバーも大幅に入れ替わっています)。

収録曲目は『リベルタンゴ』と、『リュミエール』収録の「トロイロ組曲」からのものばかりです。つまり、本CDのDISC 1と聴き比べることによって、容易にスタジオとライブの表現の違いを知ることができるのです。

1曲目の「リベルタンゴ」は、長い導入部がファンキーだったりスペイシーだったりして、70年代ロック/フュージョンの雰囲気が感じられます。「メディタンゴ」の前半の力強さと後半のメランコリックな展開の対比も素晴らしく、この曲はこんなにかっこ良かったのか!と認識を新たにしました。そして何と言っても、約11分にも及ぶ「アディオス・ノニーノ」。何種類かあるこの曲のアレンジの中でも、ここで演奏されているものは屈指の出来栄えと言えるでしょう。中盤以降の展開はひたすら感動的です。これらの曲を聴くと、「ああ、この時期ピアソラがやりたかったのはこういう事なのか」ということがよくわかります。

それにしても、「アディオス・ノニーノ」の編曲の完成度の高さは、この手の楽器編成のバンドとしては驚異的、と言ったら言いすぎでしょうか。確かにジャズでもロックでも、演奏時間が長い楽曲はたくさんありますが、途中にインプロヴィゼーションによるソロ・パートを入れずに11分を完璧に構成したものは、あまり例がないように思います。全然音楽性は違うものの、スカイ(クラシック・ギタリストのジョン・ウィリアムスを中心としたクラシカル・フュージョン・グループ)とか、一部の楽曲におけるキング・クリムゾンなどを思い出してしまいました(かなり脈絡ないんですけどね)。

さて、実はようやく手にしたこのアルバムに対して、早くもないものねだりの願望が生じています。これこそ絶対に不可能なのですが、ぜひこの音をホールで聴きたかった、というものです。というのも、過去に他のアーティストのいくつかのコンサートで、実際にホールで聴いた音を後からライブ録音で追体験して、ずいぶんと違う印象を受けたことがあるのです。特にシンセサイザーなどの電気/電子楽器やドラムの音は、ホールでは荘厳に響いていたのが録音で聴くと妙な音だったりして、がっかりしたこともあります。1977年のオランピア劇場は、果たしてどんな音で満たされていたんでしょう…?

このアルバムからほどなくして、コンフント・エレクトロニコは解散に至り、ピアソラのヨーロッパでの挑戦も、この後もう1枚のスタジオ盤を録音したのを最後に終焉を迎えます。1978年にはキンテート(五重奏団)を再結成。ヨーロッパでの活動を、どちらかと言えば失敗としてピアソラ自身は総括し、以後はキンテートでの活動に専念することになります。これによって1980年代には極めて充実し、かつ安定した活動が展開されるわけです。それはそれで非常に喜ばしいことでしたが、仮に当時のピアソラがもっと満足の行く形でスタジオ録音ができて、必ずしもこの時期を失敗と総括していなかったら、チック・コリアやハービー・ハンコックのように、エレクトリックとアコースティックを並行して手がけることはあったでしょうか。そうだったらどんな音を作っていたでしょう…?そんな身勝手な夢想すら抱かせるほど完成度の高いアルバムが『オランピア77』です。

ビジュージャ

ここまでLPで3枚分の、ローマ/パリでの活動を聴き続けてきた耳には、いきなりガツンと飛び込んでくる硬質な音は衝撃的です。おそらく多くの方にはおなじみのメンバー、ピアソラ(bn)、フェルナンド・スアレス・パス(vn)、パブロ・シーグレル(pf)、エクトル・コンソーレ(cb)、オスカル・ロペス・ルイス(g)という編成での最初のアルバムで、1979年の録音。

コンソーレの重厚なコントラバスのビート、スアレス・パスの濃厚な味わいのヴァイオリンも凄いですが、新生キンテートの音を一番特徴づけているのがシーグレルの強いタッチのピアノでしょう。随所にジャズ的なフレージングをのぞかせつつ、力強いリズムを作り出しています。そしてもう一つすさまじいのがロペス・ルイスのギターのカッティングです。「連続運動」での演奏など、なんだかもう「リズム・ギターの鬼」とでも言いたくなるほど。

土台となるリズムはあくまでコンソーレの刻むタンゴなのですが、シーグレルやロペス・ルイスのノリは随所に16ビート的なものが感じられます。この複合リズム的手法は1972年のコンフント・ヌエベで一旦開花したもので(この時はコントラバス対ギター、ドラム)、おそらくヨーロッパでのジャズ/ロック的展開でも本当はこんなノリを作りたかったのではないかと思われます。実は、キンテート再編という大きな方向転換も、あくまで音楽の実現手段の変更であって、根底にある音楽的指向性はそう変わっていないのかもしれません(同じピアソラの音楽ですから当然かもしれませんが)。

ところで、確かこのアルバム、日本盤としてはこれまでリリースされていなかったはずです。意外というかもったいないというか…これもまた契約の問題かな?とにかくぜひ聴いてみて下さい。後のライブで繰り返し演奏される「ビジュージャ」や「鮫」も収められていますし、他の曲も素晴らしいです。後年の有名な『タンゴ・ゼロ・アワー』や『ラ・カモーラ』とは大きく違う音作りも、聴き比べてみると面白いです。

というわけで

これまでにもピアソラのローマ/パリ期の録音を集めた編集盤はいくつか存在しましたが、今回のCDが決定的なのは、やはり『オランピア77』が収録されることによって、ジャズ/ロック的アプローチでピアソラが目指したものがより明確になった、ということではないかと思います。その意味で、ピアソラのヨーロッパでの挑戦からキンテート再編に至る道のりをたどるには、本アルバムは最適と言えるでしょう。

さて、7月はピアソラ中心、という予定で進んできましたが、月半ばでの執筆の滞りなどにより、まだ書きたいネタはいくつか残ったままです。従って、8月以降も、他のテーマと交錯しつつ、という形にはなるかもしれませんが、しばらくピアソラ・ネタが続くことになりそうです。

(2002年7月29日作成)

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