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久々に本読みの虫が蠢く、の巻


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きっかけ

正直に言って、技術系の本とタンゴの本以外はここ十年ほどの間ほとんど読んでいませんでした。読みたいな、と思う本はあっても買わないうちに忘れてしまうし、読む時間もないし…。

しかし、最近になって突然本を読み始めました。きっかけは

といったところです。

特に3番目の連載小説が重要でした。「この作家の本をもっと読んでみたい」という気持ちから足が本屋に向かい、そこから関連する評論やら何やらと、久々の読書連鎖反応に入り込んでしまったのです。

いろいろ読んでも日本人とタンゴの問題などは全然解決には至らず、かえって迷いは深くなるばかりですが、久々に活字から快楽をもらっています。そして読むと人にも教えたくなるものです。というわけで、いくつか本をご紹介します。

民族とか国家とか、考えてみたりする

常打ち賭人の見た民族、国家

少し前まで半ば惰性的に読んでいた雑誌「週刊SPA!」に、2000年10月から2002年9月にかけて連載されていた「打たれ越し」という小説が単行本化されたものです。上記の「とても面白かった連載小説」がこれです。

作者の森巣博はオーストラリアを拠点とする常打ち賭人です。最初はギャンブル小説なんて胡散臭いと思っていたのですが、これが何とも面白い。カシノ(いわゆるカジノ)を舞台にしたヴェトナム系青年、マオリの血を引く好敵手との交流を主軸に据えつつ、縦横に脱線して行く展開が快感なのです。

この本におけるクライマックスは、下巻の中盤において展開される民族に関する論述でしょう。

 多くの「民族」論は、「民族」の定義を抜きにしたところでおこなわれている。じつは、「民族」論とは、「民族」という厄介な概念をきっちりと定義してから展開すると、すべてこなごなに崩壊してしまう、という恐しい性格を持つからである。(下、p155)

このような立場から、民族論、あるいは日本人論、日本民族論を批判的に検証して行きます。とりあえず私としては目からウロコがボロボロ落ちました。

日本人の特異性をうたう日本人論を評して、こともあろうに「ちんぽこの大きさを自慢するのと変わらない」と言い切ってしまうところなど、下品で乱暴と思う方もいるでしょう。でも、少くともその手の表現を容認できる方には間違いなく一読の価値ありです。

そしてもう一冊。

同じ作者による、やはりオーストラリアのカシノを舞台にした小説です。発表はこちらが先。ここでも、「日本」「日本人」についての強烈な批判的検証がなされています。話の主軸となるヤクザとの交流も美しくはかないもので、「越境者たち」よりコンパクトですが読み応えがあります。

博打打ちと東大教授がナショナリズムを語る

さらに森巣博です。上記2冊をはじめとして、小説の中で論じてきた民族、国家について、気鋭の学者である姜尚中と対談することによってさらに掘り下げよう、という本です。

在日という観点などから民族に関する重層的思いがある姜に対して、森巣の立場はちょっと単純で楽天的にも感じられますが、その違いが対談に奥行きを与えています。

ぷちナショだとぉ!?

調子に乗ってナショナリズム関係の本を探していたら、平積みになっていたのがこれ。香山リカは同郷だし同年代だし、心情的に応援したい気持ちは山々なんですが…なんなんだこれは?

最近の日本の若者の、屈託のない愛国的行動をぷちナショナリズム症候群= "ぷちナショ"と名付け、その背景を探る、といったところでしょうか。視点そのものは悪くないけど、もう少し掘り下げ方というか追及のし方というか、そういうものがあるでしょうに。

せっかくの着想が、もったいないです。

ああ、アメリカよどこへ行く

アメリカ人が見たアメリカのヘンなところ

この本、装丁で思い切り損をしています。こんな本買う奴こそアホでマヌケに見られてしまいそう。でも、本当はマジメな本で、一押しのお勧めです。

内容は、テレビやドキュメンタリー映画で活躍しているジャーナリスト/映画監督のマイケル・ムーア(新作映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」が話題です)が、アメリカ社会の欺瞞を思い切り笑い飛ばしつつ痛烈に批判したもの。ブッシュ大統領が選ばれた選挙を「クーデター」と称し、その裏で行われた不正を暴くほか、巧妙に隠蔽されつつ決してなくならない黒人差別問題、教育問題、果ては共和党以上に保守的になってしまった民主党への批判など、彼が「おかしい」と思ったことに関しては徹底的に検証を重ね、風刺しながら告発して行きます。

なかなか衝撃的な内容ですが、一方で、この状況をしっかり批判して、なおかつエンターテインメントとして楽しめる本に仕上げることができる人がいること、なおかつ現政権に対して極めて危険な内容を持つこの本がちゃんとニューヨーク・タイムズのNo. 1ベストセラーになったことを見ると、アメリカのバランス感覚もまだ捨てたものではない、とも思います。

ところで実はこの本、私は翻訳書を読む前に原書を読みました。

普段洋書なんて買わないくせに、たまたま目にした評判を見てどうしても読んでみたくなったのです。私の英語力では大体1/3ぐらいしか理解できませんでしたが、構わず読み飛ばし、それなりに面白いと思いました。その後上記の訳書が出て、大喜びで再読、やはり日本語の方が細かいところまで理解できますし、これで多くの人に勧められる、とも思いました。

ただ残念なことに、日本語版では訳されていないエピソードがあることに気付きました。また、原書では巻末に参考文献、ニュースソースなどが詳細にリストアップされていますが、日本語版にはこれも省略されています。仮に、訳出しなかったエピソードが日本人にとって理解しがたい内容だったのだとしても、せめてその旨明記すべきだったのではないでしょうか。またニュースソースについては、これだけきわどい内容を書いている以上、彼の書くことが単なるゴシップではなくジャーナリズムに基くものであることを保証するものとして、省略すべきではなかったと私は思います。

保守派の考える反米

小林よしのりのことは何となく生理的に嫌いでした。西部もそう。でも、どちらの著作もほとんど読まずに好きも嫌いもなかろう、という気持ちがあったのも事実です。そんな時にこの本を見つけ、良い機会だ、と読んでみました。保守派が反米、というのも興味深いし…。

表紙を開くとまず目に飛び込んで来るのが靖国神社に参拝する二人のカラー・グラビア。いきなりのナルちゃんぶりに戦意喪失(って何と闘うつもりだったんだ、オレは?)。とはいえ、前半で展開されている国際情勢の把握や親米保守という立場の欺瞞に対する批判には、共感できる部分も少からずありました。

でも、この二人は対談するには余りに立場が近すぎて、なんだか対談としてはひどくつまらないものになってしまっています。しかも、批判の矛先は主に保守派内部にしか向いておらず、私のような読者から見ると論点がはるか遠くに存在するようにしか思えません。結局「新しい教科書を作る会」を二人で飛び出したことについての言い訳にしか読めなくなってしまうのです。

というわけで

以上、最近読んだ本からいくつかご紹介しました。ご覧の通り傾向はかなり偏っていますが、何かのご参考としてお役に立つことがあれば幸いです。

また機会があれば、他の分野の本についてもご紹介します。

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